【トイプードルのムームの救助】

☆現地ではリアルタイムでブログを更新できませんでした。こちらの記事は1月5日に書いたものです。


輪島市町野町に入ってから電波が入らなくなり、2日半全く連絡ができない状態でした。


長くなりますが、二日間の出来事をお伝えします。


生き埋めになっているトイプードル、ムームの救助のために、急いで輪島市町野町に向かいました。

町野町まであと5キロと言うところで、大きな土砂崩れがあり、道がふさがっていて車で進むことができませんでした。

陽は沈み辺りは真っ暗になっていました。雨も降っていました。

どうしようと悩んでいたところに、町野町にいる家族の安否がわからず徒歩で向かうという2人の男性に会いました。

私たちも車を置いて一緒に歩いていく事にしました。

町野町には、まだ自衛隊も災害救援車も入っていなく、生き埋めになったままの人がまだたくさんいるとの事でした。

5キロの道のりは、途中、いくつも大きな土砂崩れがありました。

早く、生き埋めになっている犬の救助に向かいたかったのですが、

雨が降っていて、夜で真っ暗、まだ強い余震も続いていることから、朝一で、救助に向かうことにしました。

この日は、避難所に1泊泊めていただきました。


翌日朝、急いでムームの救助に向かいました。

まだ少し小雨が降っていました。

こんなに寒い中、3日間ご飯も食べず、水も飲めず、土砂崩れと地震で全壊の家の中にいると言う事…周りの人たちからは酷い状態だから生きていないと言われました。

生きていてほしいと願いながら、ムームのいる家へと向かいました。大きな土砂崩れで道は通れず、田んぼに降りて歩きました。

ムームの家に到着しました。

家は酷い全壊状態でした。

1階2階の居住場所は、屋根に押しつぶされていました。

周りを歩きましたが、崩れた家の柱や壁、ガラスなどがぎっしり詰まっていて、ライトで照らしても、全く中が見えませんでした。

「ムーム!」と名前を何度も呼びました。

すると、微かに鳴き声がしました!姿は全く見えないですが、すぐ近くまで来ているのがわかりました。

安全なところから…と周りを見ても、どこも隙間一つなく中の様子が見れません。

ムームがいるあたりの瓦礫を慎重に、一つ一つ、取り除いていきました。

不安気持ちで泣き続けるムーム。

ムーム!と声をかけながら、作業を進めました。

途中まで進めましたが、その先は

手ではどうすることもできません。

その時、空に自衛隊のヘリコプターが飛んできました。

やっと町野町に、自衛隊が入ってきました。

私は急いでヘリコプターが降りた避難所に走りました。

自衛隊の方に事情をお話し、ムーームの救出を手伝ってください、とお願いをしました。

2名の自衛隊の方が、今作業の指示待ちなので、それまでの時間なら…と、一緒来てくれました。

バールやノコギリを使い、どんどん詰まっていものを外していってくれました。

やっと隙間ができ、その奥にムームがいました!

本当にありがたかったです。

次の場所に行かなければならないからと、自衛隊の方は戻りました。

私はフードを持ち、腹ばいになって隙間に入りました。

ムームは怖くてかなり警戒をしていました。

フードで誘き寄せて近づいたところを、右手で首輪を掴み、隙間からムームを引きづり出しました。

やっと助けることができました!

嬉しくて嬉しくて、涙が止まりませんでした。

少ししたら、先程の2名の自衛隊の方が、次の作業場所に行く前に、心配で戻ってきてくれました。

ムームを見て、とても喜んでいました。

自衛隊の方には、何度もお礼を伝えました。本当に感謝です。


ムームの家族は、80代後半のおばあちゃんです。

おばあちゃんは、すでに兵庫の親戚の方のところに移られていたので、ムームはしばらく、私と一緒に車で過ごし、帰る時、一緒に千葉に連れて帰ります。


今回の事…やはり、諦めない気持ちが1番だと思いました。

ムームも生きることを諦めず、私も自衛隊の方も、助けることを諦めませんでした。


輪島市町野町に来て本当によかったです。


今日は火災のあった、河井町にいます。行方不明の猫がたくさんいるので、探したいと思います。


#能登半島地震

#ペット防災

#ペットレスキュー

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【うさ公式ホームページ】 創作家 「災害で消えた小さな命展」主催。 「災害時ペット捜索・救助チームうーにゃん」、「劇団Sol.星の花」代表。 この3つの活動を通して、命の大切さや思いやる気持ちを伝えていきます。

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